top of page

『三日間のアムステルダム――マルコ、運び屋になる』

x Happy
8月8日
読了時間: 5分

更新日:8月9日


🎼 2019年、春。


マルコがアムステルダムへ向かった目的は、観光でも、休暇でもなかった。


IATA――国際航空運送協会に関係する資格試験を受けるためだった。


航空会社で長く働いてきたマルコにとって、


それは仕事の延長にある、ごく【真面目な出張】だった。


しかも滞在は、たった三日間。ローマから二時間半くらいで行ける。


試験を受けて、少し街を歩いて、ローマへ戻る。


それだけの予定だった。


ところが――。


その「たった三日」が、思いもよらない出来事を連れてきた。


♬アムステルダムの三日間


試験を終えた日の午後、マルコはようやく肩の力を抜いた。


運河沿いを歩く。


細長い家々が水面に映り、その横を自転車が次々と走り抜けていく。


「これがアムステルダムか」




そう呟きながら歩いていると、小さな屋台が目に入った。


ニシンだった。


アムステルダムでは、ニシンを扱うスタンドを街で見かける。


刻んだ玉ねぎやピクルスを添えて食べるのが、


オランダらしい楽しみ方のひとつだ。





マルコはコルニションと小玉ねぎを添えてもらった。


一口食べる。


「うまい」


派手な料理ではない。


魚の旨味、酸味、玉ねぎの辛味。


それだけなのに妙に記憶に残った。


「ローマでも、こういう食べ方はいいな」


そのときのマルコは、数時間後、


自分の鞄が徹底的に調べられることになるとは夢にも思っていなかった。


空港


🎼三日目の朝


マルコは空港へ向かった。


荷物は小さかった。


三日しかいなかったのだから当然だ。


衣類も最低限。


仕事関係の書類。


IATA試験の資料。(国際航空運送協会)


そして、ちょっとした土産。


搭乗手続きを済ませ、いつものように進もうとしたところで声をかけられた。


「少しよろしいですか」


マルコは振り返った。


係員が立っている。


「はい?」


最初はランダムな確認だと思った。


ところが質問が続く。


「アムステルダムには何日いましたか」


「三日です」


「三日?」


「ええ」


「目的は?」


「試験です」


「何の試験ですか」


「IATAの資格試験です。私は航空会社で働いています」


係員の表情は変わらなかった。


「鞄を確認させてください」


「……どうぞ」


マルコはまだ余裕があった。


ところが――。


本当に、全部見る


鞄が開けられた。


シャツ。


下着。


書類。


ポーチ。


財布とは別に入れていた小物。


ひとつずつ出されていく。


マルコは黙って見ていた。


最初の五分は平静だった。


十分ほどすると、少し腹が立ってきた。


「まだ見るのか?」


しかし終わらない。


鞄の内側。


ポケット。


底。


小さな隙間まで確認される。


「何か探しているんですか?」


マルコが尋ねた。


係員は淡々と答えた。


「確認です」


「何の?」


答えは曖昧だった。


そこでマルコにも、ようやく分かってきた。


――麻薬か。


自分は運び屋を疑われている。


三日間だけの短期滞在。


小さな荷物。


アムステルダムからの移動。


いくつかの条件が重なって、追加確認の対象になったのかもしれない。


マルコはため息をついた。


「私は航空会社の人間ですよ」


「それは分かりました」


「IATAの試験を受けに来たんです」


「それも確認しています」


「だったら、この鞄のどこから麻薬が出てくるんです?」


係員は表情を変えない。


マルコは鞄の中に並べられた自分の下着を見た。


そして思った。


――こんなに真面目に試験を受けに来て、


『人生でいちばん怪しい人間扱いされている。』


疑いは晴れた



🎼IATA試験の資料を見せ、しかもその内容の説明までしたのだ。まったく疲れるよ。🎼


他にも疑わしいものは


当然、何も出てこなかった。


係員は荷物を戻すよう促した。


マルコは散らばった自分の持ち物を、一つずつ鞄に戻した。


「もう行っていいですか?」


「はい。ご協力ありがとうございました」


「どういたしまして」


そう答えたものの、声には少しだけ【棘】があった。


鞄を閉めて歩き出す。


数歩進んでから、マルコは振り返った。


そして心の中で言った。


――次に来るときは、一週間滞在してやる。ーーー




🎼 数年後、La Strega


ローマの夜。


La Stregaのテーブルには、燻製のニシンが美しく盛られていた。


横にはコルニションと小玉ねぎ。


ムラーノのグラスには、冷えた白ワイン。


向かいに座った客が聞いた。


「マルコ、どうしてそんなにニシンが好きなんだ?」


「アムステルダムだよ」


「旅行したの?」


「三日だけ」


「たった三日?」


マルコはワインを一口飲んだ。


「IATAの試験を受けに行ったんだ」


「へえ。それで?」


「試験を受けて、ニシンを食べて――」


少し間を置いた。


「最後に麻薬の運び屋になった」


「え?」


「正確には、運び屋に間違われた」


向かいの男が吹き出した。


「何をしたんだよ!」


「何もしてない。それが問題なんだ」


「どういう意味?」


「三日しかいない。荷物が少ない。試験を受けてすぐ帰る。どうも、それが怪しく見えたらしい」


「それで?」


「鞄の中を全部だ。全部!」


マルコはフォークでニシンを一切れ取った。


コルニションを添える。


「下着まで?」


「もちろん」


「IATAの書類も?」


「もちろん」


「麻薬は?」


マルコは相手を睨んだ。


「出るわけないだろ」


二人は笑った。




ムラーノのグラスが小さく触れ合った。


カラン。


マルコはニシンを口に運んだ。


燻製の香り。


ピクルスの酸味。


あの日とよく似た味がした。


「でもさ」


向かいの男が言った。


「そんな目に遭ったのに、アムステルダム嫌いにならなかったの?」


マルコは少し考えた。


「ならなかったな」


「どうして?」


「空港の記憶より、このニシンのほうがうまかったから」


そして二人は、また笑った。


人生には、ときどき妙な旅がある。


試験の結果よりも、


美しい運河よりも、


立派な建物よりも、


空港で鞄をひっくり返されたことと、


屋台で食べた一皿の


♬ニシンのほうが♬、何年経っても鮮明に残っていたりする。


マルコは白ワインを飲みながら言った。


「アムステルダムか……また行きたいな」


「今度は何日?」


マルコは即答した。


「最低、一週間」


La Stregaのテーブルに、二人の笑い声が広がった。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー








ここでも燻製のニシンがたべれます
ここでも燻製のニシンがたべれます

解説 北ヨーロッパ風のニシンの食べ方


燻製にしてコルニション(小キュウリのピクルス)や小玉ねぎと一緒に食べるスタイル。

焼き魚より美味しいと思う方も多いかもしれません。




つづく



著作権ここにあり、転送不可



bottom of page