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2026年パイフェア&テトリス

x Happy
8月10日
読了時間: 5分




― パイを回すな、Tミノを回せ ―


八月のローマ。


夕暮れになっても、石畳にはまだ昼間の熱が残っていた。


La Stregaの入口には、ヴィオラが用意した小さな黒板が出ている。




LA STREGA — AUGUST PIE FAIR


🎼Herring Pie


🎼Meat Pie


🎼Apple Pie


そして、その上には魔女の小さな絵。


店内では、オーブンから焼き上がったばかりのパイの香りが漂っていた。


窓際の席に座っているのは、二人の常連客。


建築設計の仕事をしているルカと、コンピューター関係の仕事をしているダニエレだった。


♬二人の前に、ヴィオラ特製のニシンパイが運ばれてくる。






「おお……」


ルカがナイフを入れる。


サクッ。

薄いパイ生地が割れ、中からニシンと玉ねぎ、ハーブの香りがふわっと立ち上った。


「ヴィオラは、ニシンを一本そのまま突っ込んだりしないんだな」


「当たり前だろ」




ダニエレが白ワインを一口飲んだ。


「料理は配置が大事なんだよ」


「配置?」


【「テトリスと同じだ」】


ルカの手が止まった。


「……またテトリスの話か」


「昨日、Tスピンがものすごく綺麗に決まったんだ」


「出た。Tスピン」


ルカは呆れた顔をしながら、ニシンパイを口に運んだ。


「そもそもさ。俺は納得してないんだよ。あれ、どうして入るんだ?」


「何が?」


「Tのやつだよ。どう見ても入らない場所に、最後にクルッと回したら入るだろ」


「ああ。それがTスピンだ」


「だから、それがおかしいと言ってるんだ」


ダニエレはナプキンを取ると、テーブルの上に指で架空のブロックを描き始めた。


「まず、T字型のテトリミノ――Tミノがある」


「うん」


「普通に落としただけでは入らない隙間を、先に盤面の中に作っておく」


「わざわざ?」


「そう。ここが重要なんだ」


ダニエレは人差し指を立てた。


「初心者は、穴を見ると埋めたくなる。でもTスピンを狙う人間は、未来のために妙な穴を残す」




ルカは眉をひそめる。


「それ、部屋の掃除ができない人の言い訳みたいだな」


「違う。戦略だ」


「床に靴下を置いておくのも?」


「それは怠惰だ」


二人は笑った。


そこへ見習いのアンが二皿目を運んできた。


♬今度はミートパイ。


こんがり焼けたパイ生地の中には、じっくり煮込まれた肉と野菜。


ひき肉多め
ひき肉多め





玉ねぎ多め
玉ねぎ多め


「こちら、ミートパイです」


「ありがとう」


アンが去ると、ダニエレは再びテトリス講義を始めた。


「Tミノをその穴の近くまで落として――最後の瞬間に回転させる」


ダニエレはフォークをT字に見立て、くるりと回した。


「こう」


「パイの上でやるな」


「こうすると、Tミノが滑り込む」


「でもさ」


ルカはフォークを置いた。


「俺が子供のころやってたテトリスって、そんなゲームじゃなかったぞ。長い棒が来たら『来たー!』って喜んで四列消すゲームだった」


「それはテトリス」


「今のもテトリスだろ」


「現代テトリスはもっと恐ろしい」


「何が恐ろしいんだよ」


「Tスピン、REN、Back-to-Back、先読み、ホールド、積み方……対戦になると相手に攻撃まで送る」


ルカはしばらく黙った。


そしてミートパイを食べながら言った。


「……俺が知ってるテトリス、ずいぶん出世したな」


「そうなんだ」


「昔はソ連からやってきた素朴な落ち物ゲームだったのに」


「今ではT字のブロックを穴にねじ込んで人を倒す」


「説明だけ聞くと怖いゲームだな」


また二人が笑う。


やがて三皿目。


♬ヴィオラのアップルパイだった。


薄く重なったリンゴにシナモンの香り。 横には小さなジェラート。甘さはかなり控えめ。




甘さ控えめなのてたくさんいける
甘さ控えめなのてたくさんいける

ルカはそれを見ながら、ふと思いついた。


「ヴィオラ」


厨房から顔を出したヴィオラが答える。


「なに?」


「このアップルパイ、T字型に切ってくれない?」


ヴィオラの目が細くなった。


「どうして?」


ダニエレが嬉しそうに答えた。


「Tスピンをやりたいんです」


数秒の沈黙。


ヴィオラは静かに言った。


🎹「食べ物で遊んだら、厨房から追い出すわよ」


「はい」


二人は同時に答えた。


ヴィオラが厨房へ戻る。


ルカは小声で言った。


「ゲームオーバーだな」


「完敗だ」


二人はアップルパイを普通に切って食べ始めた。





しばらくして、ルカがぽつりと言った。


「でもTスピンって、ちょっと面白いな」


「だろ?」


「普通なら『ここには入らない』と思う形を、回転させると入れられるんだろ」


「そう」


「しかも、そのためには前もって隙間を作っておく」


「そうそう」


ルカは白ワインのグラスを持ち上げた。


「なんか人生みたいだな」


ダニエレが吹き出した。


「急に壮大になったな」


「だってそうだろ。全部きれいに埋めようとすると、次の一手がなくなる。でも少し変な隙間を残しておくと、後から思いもしなかったものが入る」


ダニエレは少し考えた。


「……悪くないな、それ」


「だろ?」


「ただし人生には、次に来るブロックの表示がない」


「確かに」


「ホールドもできない」


「嫌な仕事を横に置いて、あとで使う、とか?」


「できたら便利なんだけどな」


二人は笑った。


La Stregaの窓の外では、ローマの夜がゆっくり深くなっていた。


テーブルには、


ニシンパイ、


ミートパイ、


アップルパイを食べ終えた三枚の皿。


ダニエレが最後の白ワインを飲む。


「帰ったらTスピン教えてやるよ」


「いや、今日はやめとく」


「なんで?」


ルカはお腹をさすった。


「今、俺の腹の中にはパイが三種類、隙間なく積まれてる」


「じゃあもう何も入らないな」


「いや」


ルカは厨房のほうを見る。


「エスプレッソなら、回転させなくても入る」


ちょうどその言葉を聞いていたヴィオラが、厨房から声を飛ばした。


「それなら入れてあげる!」




八月のLa Strega。


パイフェアの夜は、


Tスピンよりも見事に、最後の一杯まできれいに収まった。


つづく


著作権ここにあり、転載不可

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