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La Strega真実は叫ばない⑪・北イタリアの祖母ルチアからの手紙

x Happy
7月20日
読了時間: 12分

更新日:7月22日


アレッシオはマリア(マリアは、エレナの祖母)から


マリアの祖母ルチアからの大昔の手紙を


見せてもらった。



♪マリアはトロペアで小さな食堂を開いていたが、


子供のころは北イタリアに住んでいて、


祖母ルチアと生活を共にしていた。





ーーールチアが晩年、マリアに残した手紙----




【愛しき孫 マリアへ】






神の御恵みが、常にお前の上にありますよう祈っています。



この書を読む頃には、私はすでに主のみもとへ召されていることでしょう。



ゆえに、祖母として幾つかの言葉を書き残します。



私は長きにわたり、野山に生える草花を学び、


人々の病や傷のために用いてまいりました。


されど、草は神が与え給うた自然の恵みであり、


これを用いる者に不思議な力が宿るわけではありません。


治すのは神であり、人はその手助けをするにすぎません。


これを決して忘れてはなりません。



また、人の知恵には限りがあります。



己の知識で及ばぬときは、ためらわず医師を頼りなさい。



できぬことを、できると語る者になってはなりません。



私が若き頃、薬草を扱うゆえに、


心ない噂を耳にすることもありました。


しかし幸いにも、この地では噂や告げ口のみで人を裁くことは許されず、


事実を調べる者がおりました。


そのため、私は家族のもとへ帰ることができました。



されど、アルプスの向こう、


ドイツやスイスには、


そのような幸運を得られぬ多くの女性がおりました。


薬草を知る者、助産をする者、独り暮らしの老女、


その多くが【魔女と呼ばれ、火刑に処せられた】と伝え聞きます。


その人々が皆、悪しき者であったとは、私は思いません。


恐れは、ときとして人の目を曇らせます。


ゆえに、お前は噂によって人を裁いてはなりません。


多くの者が同じことを語るからといって、


それが真実とは限りません。


まず見よ。


よく聞け。


そして静かに考えよ。


これこそ知恵ある者の務めです。


人は知識を誇るために学ぶのではありません。


苦しむ者を慰め、弱き者を助けるために学ぶのです。


もし将来、お前が誰かのために食事を作る日が来るなら、


一皿の料理にも慈しみを込めなさい。


人は薬だけでは癒えません。


温かな言葉と、静かな食卓に救われることもあるのです。


最後に、一つだけ願いがあります。


春になれば、ローズマリーを植えなさい。


その香りは、私のことではなく、


人は自然とともに生きるということを思い出させてくれるでしょう。


神は人を裁くためではなく、生かすために知恵を授けられました。


その知恵を、どうか正しく用いなさい。


神の平安がお前とともにありますように。


人を救う知恵は、恐怖より静かでなければならない。



人を本当に救う知恵とは人を恐怖で従わせたり、不安をあおるものではない。


相手の心に静かによりそい、安心や希望を与え、自ら前へ進む力を育てるもの。


だからこそ、人を救う知恵は、恐怖よりも静かで穏やかでなければならない・・


未来への道を照らす知恵であるように、願う。


 祖母 ルチア


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La Strega ― 薬草を束ねる女、マリアの回想




(マリアのがまだ 子供の時の話、


マリアは北イタリアの祖母と生活していた・・・)



北イタリアの山に、


まだ舗装された道などなかった頃。



村の朝は、鶏の声と教会の鐘で始まった。


春になると、石垣の隙間には黄色い花が咲き、


丘には野生のフェンネルが揺れた。


夏にはセージが強い香りを放ち、


乾いた風がオリーブの葉を銀色に裏返した。



その村に、薬草に詳しい一人の女性が暮らしていた。


名を、ルチアといった。


後にマリアの祖母となる女性である。


ルチアの家の軒下には、いつも何種類もの草が逆さに吊るされていた。






ローズマリー、セージ、タイム、ラベンダー。


それだけではない。


熱を出した者に飲ませる草。


咳を和らげる草。


傷口を洗うために煮出す草。


眠れない夜に、枕元へ置く香りのよい花。ラベンダー。


ルチアは、それぞれの草を摘む季節も、時間も知っていた。


「薬草は、いつ摘んでも同じではないのよ」


幼いマリアに、彼女はよくそう話した。


「朝露が残っているときに摘む草もあれば、


太陽が高くなってから香りを強くする草もある。


♪人間と同じ。


力を出せる時間が、それぞれ違うの」


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ルチアは医師ではなかった。


自分を治療師だとも、特別な力を持つ者だとも言わなかった。



ただ、母から教わり、祖母から受け継いだことを覚えていただけだった。



山の村なので、



村に医師が来ることは少なかった。



「それが一番の問題だった」



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夜中に子どもが高い熱を出しても、


山道を越えて町まで行くことはできない。


そんなとき、人々は 深夜も ルチアの戸を叩いた。



「ルチア、起きているか」


「子どもの息が苦しそうなんだ」


「妻のお腹の痛みが治まらない」


ルチアは、どれほど遅い時間でも小さなランプに火をつけた。


病人の額に触れ、呼吸を確かめ、危険だと感じれば、


ためらわず町の医師を呼ぶよう家族に言った。


薬草だけで何でも治るとは、決して言わなかった。


「草にはできることと、できないことがあるの」


それが彼女の口癖だった。


けれど、村の外から来た者には、


ルチアの家は少し不気味に見えたかもしれない。


梁から吊るされた草。


棚に並ぶ褐色の小瓶。


夜遅くまで揺れている灯火。


そして、病人の家を一人で訪ね歩く黒い服の女性。


【当時17世紀のヨーロッパでは、そのような女性が


「魔女」と呼ばれることがあった。】


とりわけドイツやスイスの一部では、


凶作や疫病、家畜の死、子どもの病気さえも、


誰かの


呪いによるものだと考えられた。


一人が、


「あの女に睨まれた」


と言えば、別の者が、


「私も夜に見かけた」


と続ける。


そして恐怖は、証拠よりも速く村を走った。


疑われた女性が拷問を受ければ、苦しみから逃れるため、


自分が魔女であると認めることもあった。


さらに、


「仲間の名を言え」


と迫られる。


そうして一人の名が二人になり、二人の名が十人になった。


ドイツやスイスでは、こうした裁判によって多くの女性が命を奪われた。


未亡人。


貧しい女性。


人づき合いの少ない女性。



薬草や出産の知識を持つ女性。


彼女たちは、本当に不思議な力を持っていたからではない。


災いの理由を求める人々に、責任を押しつけられたのである。


ある秋のことだった。




北イタリア ドロミテ渓谷近くの村にも、南方から来た商人が立ち寄った。


男は宿屋でワインを飲みながら、ドイツの町で見たという処刑の話をした。


「女たちは、自分で魔女だと認めたそうだ」


宿屋の主人は顔をしかめた。


「自分から認めたのか」


「裁判でそう証言した。ほかの女たちも、その者が夜の集まりにいたと話したらしい」


その話は、翌朝には村じゅうに広がった。


そして誰かが、ルチアの家の軒下を見上げて言った。


「あれだけ草を集めている女だ。何をしているか分からない」


別の者が答えた。


「夜中に山へ入る姿を見たことがある」


さらに別の者が、小声で付け加えた。


「あの女から薬をもらった翌日、うちの山羊が死んだ」


しかし、その言葉だけでルチアが捕らえられることはなかった。


イタリアでも魔女裁判は存在した。


北イタリアや山岳地帯では、命を奪われた女性もいた。


決して安全な国だったわけではない。


それでも多くの地域では、宗教裁判の上層部が、噂や一人の告発だけで魔女と決めつけるこ

とを警戒していた。


本人の自白があっても、それだけで十分とはされない場合があった。


まして、拷問によって引き出された言葉や、


疑われた者同士の証言は、慎重に扱うべきだと考えられるようになっていた。


「悪魔と契約したというなら、その証拠はどこにある」


「病人が出たというだけで、なぜこの女の仕業だと言える」




「薬草を知っていることが、罪になるのか」



村を訪れた聖職者は、人々の前でそう問いかけた。


山羊が死んだ家にも足を運び、家畜の餌と水を調べた。


すると、山羊が口にした干し草の中に、


毒性のある植物が混じっていたことが分かった。


ルチアが渡した薬草とは、何の関係もなかった。


夜中に山へ入ったという話にも理由があった。


高い熱を出した子どものため、朝を待たずに必要な草を探しに行ったのである。


その子どもの母親は、人々の前に進み出た。


「ルチアは、息子を助けてくれました」


続いて、足に深い傷を負った農夫が言った。


ーー「傷を洗い、町の医師に診せろと言ってくれた。

あの人がいなければ、私は脚を失っていたかもしれない」ーーー



出産を助けてもらった女性も、


咳のひどい夜に看病してもらった老人も、


次々に証言した。


ルチアを疑う声だけではなく、


彼女が実際に何をしてきたのかが調べられた。


そのため、彼女は連れ去られなかった。


だが、それは単にイタリア人が寛容だったからではない。


裁判を慎重に進める仕組みが、恐怖の暴走をわずかに食い止めたのである。


もし時代が違っていたなら。


もし国境を越えた別の町に暮らしていたなら。


ルチアもまた、「草を知りすぎた女」


として火の前に立たされていたかもしれない。


その夜、幼いマリアは祖母に尋ねた。


「おばあちゃんは、魔女なの?」


ルチアは驚かなかった。


乾燥させたラベンダーを束ねながら、静かに笑った。









「魔女とは、どんな人のことだと思う?」


「みんなが怖がる人」


「そうね。でも、本当に怖いのは、その人かしら」


マリアは答えられなかった。


ルチアは細い麻紐を結び、紫色の花束を窓辺に置いた。


「人は、分からないものを怖がる。


病気がなぜ起きたか分からない。


畑がなぜ枯れたか分からない。


赤ん坊がなぜ亡くなったか分からない。


理由が見つからないと、誰かを理由にした


くなるの」


「悪くない人でも?」


「悪くない人だからこそ、選ばれることもある。


力が弱く、守ってくれる人が少ない者がね」


マリアは祖母の黒い袖を握った。


「おばあちゃんは、怖くないの?」


ルチアはしばらく黙っていた。


やがて、窓の外に広がる暗い山を見ながら答えた。


「怖いわ」


その言葉は、幼いマリアには意外だった。


祖母は何も恐れない人だと思っていた。


「でもね、怖いから草を捨てることはしない。


知らないふりもしない。


誰かが苦しんでいるのに、戸を閉めることもしない」


ルチアは、マリアの小さな手にローズマリーの枝を一本のせた。


「知識は、人を救うこともあれば、


人から恐れられることもある。


だからこそ、知っている者は嘘をついてはいけない。


できないことを、できると言ってもいけない」


マリアは枝を鼻に近づけた。


青く鋭い香りがした。


「覚えておきなさい。私たちは奇跡を起こすのではない。


草の力を借り、人が本来持っている力を支えるだけなの」


年月が過ぎ、ルチアは老いた。


それでも春になると籠を持ち、ゆっくりと丘を歩いた。


若い頃ほど多くの草は摘めなくなったが、どの葉に触れ、


どの花を残すべきか、その目は最後まで曇らなかった。


彼女が亡くなった日、村の人々は教会へ向かう道に、


ローズマリーとラベンダーを置いた。


かつて彼女を疑った者も、その列の後ろを歩いた。


魔女の葬列ではなかった。


病人の手を握り、子どもの熱を見守り、


何度も夜の山道を歩いた一人の女性を送る列だった。


後にマリアは、祖母の薬草帳を受け継いだ。





茶色く変色した紙には、植物の名前だけでなく、


小さな注意書きが残されていた。




――量を誤ってはならない。


――高熱が続くときは、必ず医師を呼ぶこと。


――妊娠している女性には使わないこと。


――効かなかったとき、病人を責めてはならない。


最後の頁には、ルチアの字で一行だけ書かれていた。


人を救う知恵は、恐怖より静かでなければならない。


マリアは、その言葉を何度も読み返した。


その後マリアは、大人になって、トロペアで食堂を開く、そのときも


そしてローマのレストランにも、ある名前をつけた。


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La Strega。


魔女。


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それは、人を呪う女の名前ではなかった。


理由の分からない不幸を押しつけられ、声を奪われた女性たちの名前。


そして、恐れられてもなお、


知識を捨てず、誰かのために灯りをともした女性たちの名前だった。




マリアは店の暖炉のそばに、小さなローズマリーの鉢を置いた。


誰にも説明しなかった。


ただ、ときどきその葉に触れ、祖母の言葉を思い出した。


真実は、群衆のように叫ばない。


薬草の香りのように、静かに残る。


そして、静かに残ったものだけが、


長い時を越えて人を救うのである。




つづく



解説


16から17世紀のヨーロッパでは、魔女狩りがありました。

イタリアより、スイスやドイツが、多く処刑されたそうです。

 

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小説を書いていて、


「ヒポクラテスの誓い」を思い出しました。


ヒポクラテスは紀元前460年ごろに生きたとされる古代ギリシャの医師です。


時代でいうと、約2,400年前になります。


当時の世界では、


日本:弥生時代が始まる少し前から初期にかけての頃。


ギリシャ:都市国家(ポリス)が栄え、


哲学者のソクラテス(紀元前469~399年)や、


後のプラトン(紀元前427~347年)の時代と重なります。


ペルシャ帝国が大きな勢力を持ち、


ギリシャとの戦い(ペルシャ戦争)の時代でもありました。




♪ヒポクラテスが特に重要なのは、


それまで病気を「神の怒り」や「悪霊のしわざ」と考えることが多かった時代に、


病気には自然な原因があり、患者をよく観察して診断・治療することが


大切だと考えたことです。


この考え方は現代医学の基礎となり、


医師が患者への倫理を誓う♪「ヒポクラテスの誓い」♪の名前にも受け継がれています。


完全に本人が書いたものかどうかは議論がありますが、


その精神は今も世界中の医療に大きな影響を与えています。 



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つづく 著作権はここにあり。転載不可



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