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どこまでも続く平原をゆっくりと

x Happy
9月19日
読了時間: 4分

ローマ、夜九時。


La Stregaの半円形の個室には、白いクロスがかけられ、


磨かれた銀器が暖炉の光を細く返していた。


テーブルには、小さな白い陶器のレモン。


そして今夜の客は三人だった。


一人はローマに住む航空会社勤務の男。 もう一人は日本から来た女性。 そしてもう一人


は、つい先週、


タンザニアから帰ってきたという初老の男性だった。


彼は思い出を話した。


初老の男性の思い出
初老の男性の思い出





三日間の思い出
三日間の思い出




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料理長ヴィオラが最初の皿を運んできた。(料理長が運ぶのは特別のお客様の日だけ)






焼いたアーティチョーク。 薄く切った仔牛肉。


その上にレモンとオリーブオイル。


「タンザニアに行ってきたんですって?」


日本人の女性が尋ねた。


「ええ。セレンゲティに三日いました」


「ライオン、見ました?」


男は笑った。


「見ましたよ。しかも、コーヒーを飲んでいるときに」


女性の手が止まった。


「……カフェで?」


「そうです」


「ライオンが?」


「そう」


航空会社勤務の男が赤ワインのグラスを置いた。


「それはカフェとは呼べないだろう」


三人が笑った。


「いや、本当にカフェなんです。


ロッジにあるんですよ。朝になるとタンザニアのコーヒーが出る。


マフィンもある。果物もある。



ものすごく優雅です」


「でも、ライオンがいるんでしょう?」


「いましたね」


「どのくらい遠くに?」


男は少し考えた。


「私が見たときは、十分に距離はありました。でもね……」


彼はナイフとフォークを置いた。


「ライオンって、不思議なんですよ。こちらを見ているように感じるんです」


女性は想像した。


広い草原。 朝の冷たい空気。 湯気の立つタンザニアコーヒー。


皿には焼きたてのマフィン。


そして、その向こう。


黄金色の草の中から、


ライオンが、こちらを見ている。


「無理」


女性は即答した。


「私、マフィンの味なんか絶対分からない」


航空会社勤務の男が笑った。


「僕ならコーヒーを一気に飲んで部屋に戻る」


「熱いでしょう」


「ライオンよりはいい」


また笑いが起きた。


しかし、タンザニア帰りの男だけは、穏やかに首を振った。


「実際に行くとね、少し違うんです」


「怖くないんですか?」


「怖いですよ。でも、そこで教えられるのは、ライオンをどうするかじゃないんです」


ヴィオラが次の皿を置いた。





♬ポルチーニの香りをまとった手打ちパスタだった。


男は続けた。


🎼「人間がルールを守るんです」(宿泊施設にも柵のないところがたくさんだし)


女性が顔を上げた。


「人間が?」


「そう。野生動物に、人間の都合を教えることはできませんから」


夜、勝手に歩かない。


スタッフから離れない。


動物に近づかない。


食べ物で呼び寄せない。


写真を撮りたいからといって距離を縮めない。


「ライオンに、『ここから先はホテルだから入らないでください』なんて言えないでしょう?」


「確かに」


「彼らにとっては、ホテルもカフェもないんです。全部、昔から彼らが歩いていた土地です」


部屋が少し静かになった。


暖炉の薪が、ぱちりと鳴った。


「私たちは、お邪魔している側なんですよ」


航空会社勤務の男が、窓の外のローマの夜を見た。


「面白いな。普通は自然を管理しているつもりでいるのに」


「セレンゲティでは逆です」


男は言った。


「自然は何も約束してくれない。だから、人間のほうが自分を管理する」


やがてデザートが運ばれてきた。


タンザニア産コーヒ―の濃いジェラート、ムース、マフィン
タンザニア産コーヒ―の濃いジェラート、ムース、マフィン




ヴィオラが今夜だけ作ったものだった。


♬小さなコーヒーのムース。


中央には、タンザニア産コーヒーを使った濃いジェラート。


その横には、小さなマフィン。


そして白い皿の端に、チョコレートで一本のアカシアの木が描かれていた。


少し離れたところには、小さなライオン。



女性はそれを見て笑った。


🎼「これなら安心して食べられる」


ヴィオラも笑った。


「このライオンは動きませんから」


タンザニア帰りの男は、小さなマフィンを割った。


「でもね」


「はい?」


「セレンゲティで飲んだコーヒーは、たぶん一生忘れません」


「そんなにおいしかった?」


男は首を横に振った。


「味だけじゃないんです」


朝の草原。


風の音。


遠くを歩くシマウマ。


そして、自分よりはるかに強い生き物が同じ大地にいるという感覚。


「人間が一番偉いわけじゃない場所で飲む、一杯のコーヒーなんです」


誰もすぐには答えなかった。


やがて航空会社勤務の男が、エスプレッソを一口飲んだ。


「つまり、セレンゲティではライオンがルールを守るんじゃない」


「そう」


タンザニア帰りの男は微笑んだ。


「人間がルールを守るんです」


暖炉の火が静かに揺れた。


La Stregaの白い陶器のレモンの横で、小さな銀貨が光っていた。


そこには、いつもの文字が刻まれていた。


VERITAS――真実。


その夜、三人が覚えて帰ったのは、ライオンの話ではなかった。


**自然と一緒に生きるということは、 自然を従わせることではない。


人間のほうが、 一歩引くことを覚えることなのだ。



つづく


著作権ここにあり、転載不可



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