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パイフェア・テトリス 第二夜 

x Happy
9月3日
読了時間: 7分


― Tスピンダブルから始まった、終わらない戦い ―


翌日の夜。

La Stregaの入口には、昨日と同じ黒板が立っていた。






LA STREGA — AUGUST PIE FAIR


Herring Pie


Meat Pie


Apple Pie


店内では、ヴィオラが焼いたパイの香ばしい匂いが漂っている。




そして窓際には――


また、ルカとダニエレがいた。


「二日連続?」


料理を運んできたアンが笑った。



「パイが美味しかったからね」



ルカが答える。



するとダニエレが言った。



「違うだろ。昨日のTスピンの話に決着がついてないからだ」


「パイを食べに来たんだよ」


「じゃあ聞くけど、Tスピンダブルは覚えた?」


ルカは黙った。


「……名前からして嫌な予感しかしない」


♬最初のニシンパイが置かれる。


ダニエレは待ってましたとばかりに話し始めた。


「Tスピンで二列を一度に消す。それがTスピンダブル」


「じゃあ三列は?」


「Tスピントリプル」


「あるのかよ」


「ある」


ルカはニシンパイを一口食べた。




「四列は?」



「通常のTミノでは不可能だ」



「安心した」



「何に安心してるんだ」



「テトリスにも限界があることに」


ダニエレは首を振った。



「ところが、人間はその限界の中で、とんでもないことを考える」



「嫌な言い方だな」



「Tスピントリプルを連続で組む人もいる」



ルカのフォークが止まった。



「待て」



「何?」



「一回でも意味が分からないのに、連続?」



「そう」



「誰がそんなこと考えたんだ?」



「世界中のテトリスプレイヤーだ」



「暇なのか?」



「研究熱心と言ってくれ」



二人が笑っているところへ、ヴィオラが厨房から出てきた。



「昨日から聞いてるけど」



「はい」



「そのTスピンって、そんなにすごいの?」



ダニエレの目が輝いた。



「ヴィオラ。いい質問です」



「嫌なスイッチを入れたな」



ルカが呟く。



ダニエレは説明を始めた。



「テトリスって、単純に下からきれいに埋めればいいゲームに見えるでしょう?」



「ええ」



「でも対戦ではそれだけでは足りない。わざと形を崩して、Tミノが入るスペースを作る」



ヴィオラは少し考えた。



「つまり、完成させないの?」



「そう!」



「あとで完成させるために?」



「その通り!」



ヴィオラの表情が変わった。



料理人の顔になる。



「それ、料理でも同じね」


ルカとダニエレが同時にヴィオラを見る。


「例えば?」


「途中で味を完成させすぎないこと」



ヴィオラは言った。



「煮込み料理なら、最後の煮詰まりまで見越して塩を入れる。


最初に完成させてしまうと、


仕上がりが濃くなりすぎることがあるの」


ダニエレがテーブルを軽く叩いた。


「それです!」



「何が?」




「未来の盤面を読んでいる!」



ルカが笑った。



「ヴィオラをテトリス側に引き込むな」


♬そこへ二皿目のミートパイ。


アンが置きながら尋ねた。


「ところで、昨日言ってたBack-to-Backって何ですか?」


ダニエレが振り返る。



「アンまで!」



ルカは頭を抱えた。


「もうLa Stregaがテトリス講座になってるぞ」


ダニエレは構わず説明する。


「Back-to-Backは、強力なライン消去を連続で成功させることでボーナスが継続する仕組みだ」



「例えば?」



「テトリスやTスピンなどを連続で成功させると、得点効率が上がる」



アンが首を傾げる。


「テトリスって、四列消すやつですよね?」


「そう」


「じゃあ、強い技を続けると有利になる?」


「そう考えると分かりやすい」


ヴィオラが言った。


「コース料理みたいね」


全員が彼女を見る。


「前菜が良くて、プリモも良くて、


セコンドも良い。流れが続けば、お客様の満足度はどんどん上がるでしょう?」


ダニエレは感動していた。



「Back-to-Backだ……」



ルカが即座に言った。


「違う」


「かなり近い」


「料理を全部テトリスにするな」


そして三皿目。


♬アップルパイ。


リンゴをうすくしてほしいと依頼かけた、、アップルパイ
リンゴをうすくしてほしいと依頼かけた、、アップルパイ


ルカが一口食べていると、ダニエレが突然言った。


「そしてRENだ」


「まだあるのか」


「ある」


「帰りたい」


「RENは連続してラインを消し続けることだ」


「何回?」


「続く限り」


ルカが顔を上げた。


「続く限り?」



「そう」


「一列消す。また消す。また消す?」


「そう」


「ずっと?」


「上級者ならかなり続く」


ルカは椅子にもたれた。


「俺は昔、棒が一本来るだけで喜んでたんだぞ」


「時代は進んだんだ」


「進みすぎだろ」


少し離れた席にいた老紳士が、とうとうこちらを振り向いた。


「失礼」


二人が見る。


「さっきから聞いているのだが……」


「はい」


「テトリスというのは、ロシア生まれの、上からブロックが落ちてくるゲームではないのかね?」


「その通りです」


「私の知っているものと、だいぶ違うようだ」


ルカが嬉しそうに言った。


「先生!僕も同じです!」

「先生ではない」

「でも仲間です」



老紳士は笑った。


ダニエレはワインを一口飲んだ。


「でも、そこがテトリスの面白さなんですよ」


少しだけ声の調子が変わる。


「ルール自体は驚くほど単純です」


落ちてくる。


動かす。


回す。


揃えば消える。


基本はそれだけだ。


「しかし人間は、その単純なルールの中から、TスピンやRENのような複雑な戦略を生み出してしまった」


老紳士は頷いた。


「チェスと同じだな」


「そうかもしれません」


ルカも少し真面目な顔になる。



「単純なものほど、奥が深くなることがあるってことか」


ヴィオラが厨房の入口から言った。


「料理も同じよ」


「また来た」


「例えばパイ」


ヴィオラは焼き上がったばかりのパイを指差した。


「小麦粉、バター、水、塩。基本はとても単純。でも温度、折り方、休ませ方、焼き方で全く違うものになる」


ルカがアップルパイを見る。


「なるほど」


ダニエレがニヤリとした。


「つまり、このパイもTスピン」


「それは違う」



ヴィオラが即答した。



全員が笑った。



しかしダニエレはまだ終わらない。



「最後に一つだけ」



「まだあるのかよ」



「テトリスで最も恐ろしいものを教えてやる」



「Tスピントリプルより?」



「それ以上だ」



「RENより?」



「それ以上だ」



ルカが身構えた。



「何だ?」



ダニエレは真顔で答えた。



「置きミスだ」



沈黙。



「……普通だな」



「普通だからこそ恐ろしい」



ダニエレは言った。



「完璧な戦略を組み、Tスピンの形を作り、次の展開まで読んでいても――」



指を一本立てる。



「最後に一手、間違えるだけで全てが崩れる」



「それで?」



「全部崩壊する」



ルカは笑いかけたが、少し考えて黙った。



「……それも人生みたいだな」



「また始まった」



「いや、本当に」



ルカは空になった皿を見た。


「難しいことを知っている人ほど、最後は基本的なミスで崩れることがある」


ヴィオラが頷いた。


「料理も同じ」


「例えば?」


「三時間かけて最高の料理を作って――」


ヴィオラは静かに言った。


「最後に皿を落とす」


全員が黙った。


「それは……」


ダニエレが言った。


「完全にゲームオーバーですね」


「そうよ」



ヴィオラは笑った。



その夜、La Stregaでは奇妙な言葉が飛び交った。



Tスピン。



Tスピンダブル。



Tスピントリプル。



Back-to-Back。



REN。



そして置きミス。



しかし閉店間際。



ルカは最後のエスプレッソを飲みながら言った。



「結局、テトリスが面白い理由ってこれかもしれないな」



「何が?」



「完璧に積むゲームじゃないんだ」



ダニエレが彼を見る。



「崩れた盤面からでも、次の一手を考えるゲームなんだろ?」



ダニエレは少し笑った。



「……そうだな」



「置きミスしても?」



「盤面が生きていれば立て直せる」



「Tスピンを失敗しても?」



「別の形にすればいい」



「棒が来なくても?」



「来るまで耐える」



ルカは笑った。



「やっぱり人生じゃないか」



「お前は何でも人生にするな」



厨房の奥からヴィオラの声がした。



「二人とも!」



「はい?」



「閉店よ!」



二人は立ち上がった。



ルカが会計へ向かいながら、小さく言う。



「ダニエレ」



「何だ?」



「明日もパイフェア来る?」



「来る」



「じゃあ明日は何の話?」



ダニエレは少し考えた。



そして答えた。



「ホールドだ」



ルカは足を止めた。



「……まだあるのか」



「テトリスは、そんなに簡単には終わらない」



ローマの夜。



La Stregaの扉が閉まる。



そして厨房では、ヴィオラが一人、残ったパイ生地を見つめていた。

長方形。

正方形。

そして小さな切れ端。

ヴィオラはふと思う。

――T字に切ったら、どうなるのかしら。






すぐに首を振った。



「……いけない。私まで感染してる、ハハハ」



オーブンの火が消えた。



けれどLa Stregaのテトリス談義は、



まだ一列も終わっていなかった。 



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