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上下分離JR北海道

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9月17日
読了時間: 4分

La Stregaの暖炉には、小さな火が残っていた。


その夜、一人の日本人客がカウンターに座っていた。











テーブルには赤ワイン。


焼いたアーティチョークと、仔牛料理の皿が置かれている。



支配人が尋ねた。



「北海道からいらしたんですよね」



「そうです」



客はグラスを置いた。



「北海道にはね、鉄道を単なる交通機関として考えてはいけないんじゃないか、


と思うことがあるんです」



隣にいた航空会社勤務の男が振り向いた。



「どういう意味です?」



客は少し考えてから言った。



「樋口季一郎という軍人を知っていますか」



「名前だけなら」



「第二次世界大戦末期、ソ連軍が千島列島の占守島に上陸した。


日本はすでに降伏を表明した後だった。それでも現地では戦闘になった」




客はナプキンの上に指で北海道の形を描いた。



「占守島は、ずっと北です。そして、その南に北海道がある」



支配人が言った。



「つまり北海道にとっては、遠い外国の戦争ではなかった」



「そうです」



客はうなずいた。



「だから私は、今の北海道の鉄道問題を考えるときにも、ときどき樋口季一郎を思い出すんです」



🎼🎼「JR北海道の話?」



「そう」



客はワインを一口飲んだ。



「赤字路線だけを見れば、利用者が少ない路線を維持するのは難しい。


上下分離という方法も議論されている。


線路や施設を公的主体が持ち、列車の運行を鉄道会社が担うような考え方ですね」



航空会社勤務の男が聞いた。



「でも、それとロシアに何の関係が?」



客は少し笑った。



🎼「直接関係がある、と言っているわけではありません。


少なくとも政府や北海道が、ロシアへの軍事的備えを理由に上下分離を議論している、


という話ではない」



そして表情を変えた。



🎼「ただ――鉄道には、普段の乗客数だけでは測れない価値があるんじゃないか、ということです」



支配人が黙って聞いている。



「災害が起きたとき。


道路が寸断されたとき。


大量の人や物資を運ばなければならないとき。


そして、考えたくはないけれど、日本を取り巻く安全保障環境がもっと厳しくなったとき」



「鉄道そのものが、国のインフラになる」



「そうです」



客は答えた。



「北海道は広い。しかも海に囲まれている。


港、空港、道路、鉄道。そのどれか一つだけに頼るより、


複数の輸送手段を残しておくことには意味があると思うんです」



料理長が厨房から出てきた。



「つまり、採算と安全保障は別々に考えるべきだ、と?」



客は首を横に振った。



「別々ではなく、両方を見る、です」



そしてナプキンに一本の線を引いた。



稚内から旭川へ。


旭川から札幌へ。


札幌から函館へ。



さらに道東へ向かう線も描いた。



「鉄道は、平和な時には人を運ぶ。


災害時には避難や復旧を助ける。


物流を支える。


そして国家的な危機には、輸送網の一つになる」



支配人が赤ワインを少し注ぎ足した。



「では、あなたはJR北海道の路線を全部残すべきだと思っている?」



客はすぐには答えなかった。



「そこまでは言えません。維持費も人手も必要ですから。


でも、乗客が少ない、赤字だ、


という数字だけで線路の価値を決めてしまっていいのか。


それは一度考えたほうがいいと思っています」



暖炉の薪が、ぱちん、と鳴った。



客は最後に言った。



「樋口季一郎の時代と今はまったく違います。だから同じ話として扱うべきではありません」



少し間を置いた。



「でも歴史が教えてくれることはあります」



「何です?」



「平和な時には不要に見えるものが、危機が来た瞬間に、突然とても重要になることがある、ということです」



支配人は静かにグラスを持ち上げた。



「鉄道も?」



「ええ」



客もグラスを上げた。



「北海道の線路は、今日の乗客だけのためにあるのか。


それとも、50年後の北海道にも必要な国土の骨格なのか。



上下分離を考えるなら、私はそこまで議論してほしいと思っています」






La Stregaの窓の外では、


ローマの石畳が雨に濡れていた。



遠い北海道では、


夜の線路が静かに北へ延びている。



列車が走っていない時間にも、


線路はそこに残っている。



それ自体にどんな価値があるのか。



その答えは、


一日の乗客数だけでは決められないのかもしれなかった。 



解説

日本はポツダム宣言を受け入れていたのに、

8月18日に始まったのです。日本軍の死者300人(不詳死傷者合計では1000人こえてます)

ソ連軍は500人(北海道大学スラブ研究センター資料より)










つづく


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