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---- 大切にしたもの----

x Happy
9月17日
読了時間: 4分


ローマの夜。


La Stregaの窓の向こうには、古い街の灯りが静かに揺れていた。


今夜、一つのテーブルを囲んでいるのは三人の客だった。


仕事も年齢も、生き方も違う三人。 けれど、話はいつの間にか「どんな人生を送りたいか」という話になっていた。





🎼最初に運ばれてきたのは、イタリア野菜の前菜だった。


焼いたアーティチョーク。 赤と黄色のパプリカ。 ズッキーニ、フェンネル、トマト。 オリーブオイルとレモン、それに少しの海塩。


派手な料理ではない。 けれど野菜そのものの色が美しかった。


一人の女性が、皿を眺めながら言った。


「私ね、生活の中で、企業が作ったパッケージばかりを見るのが嫌なの」


「パッケージ?」


「そう。洗剤、石鹸、シャンプー。キッチンにも浴室にも、文字や宣伝がいっぱいでしょう」


彼女は笑った。


「だから全部、自分の好きなボトルに移し替えているの。洗剤は透明なガラス瓶。シャンプーは白いボトル。石鹸は小さな陶器の器」


もう一人が尋ねた。


「面倒じゃない?」


「少しね。でも毎日見るものだから。私は、自分の目に入るものを自分で選びたいの」


その言葉に、三人は少し黙った。


生活というものは、大きな出来事だけでできているわけではない。


朝起きて見るもの。 手に触れるもの。 飲むカップ。 座る椅子。


そんな小さなものが、一日の大部分を作っている。




🎼次に運ばれてきたのは、La Stregaのビーフシチューだった。


赤ワインで長い時間煮込んだ牛肉。 フォークを入れるだけで、ほろりと崩れる。


人参、小さな玉ねぎ、セロリ。 深い褐色のソースから、赤ワインと香草の香りが立った。


横には、焼きたてのレーズンパン。


少し甘いパンをちぎり、濃厚なソースにつける。


二人目の客が言った。


「僕が大切にしたいのは、仕事かな」


「仕事が一番大切なの?」


「いや、逆なんだ」


彼はパンをちぎりながら続けた。


「嫌な仕事をして人生を使いたくないんだ」


「でも、仕事って全部好きにはできないでしょう?」


「もちろん。でも少なくとも、自分で選びたい」


給料だけで仕事を決めない。 肩書だけでも決めない。


自分が面白いと思えること。 朝、起きたときに「今日はこれをやろう」と思えること。


「人生のかなりの時間を仕事に使うでしょう。だったら僕は、できるだけ自分のしたい仕事を選んでいきたい」


女性が言った。


「あなたは仕事を大切にしているというより、自分の時間を大切にしているのね」


彼は少し考えてから笑った。


「たぶん、そうだね」


最後にデザートが運ばれてきた。





🎼大粒の葡萄を白ワインで軽く煮たコンポート。


その下にはマスカルポーネの淡いクリーム。 葡萄のジュレと、ピスタチオ。


横には小さな葡萄のソルベ。


紫、淡い緑、白。


秋の葡萄畑を小さな皿の上に閉じ込めたようだった。


三人目の客は、ずっと静かに食事をしていた。


「あなたは?」


そう聞かれて、彼は少し困ったように笑った。


「僕は……あまり人と話したくない」


二人は笑った。


「それなのに、今日はずいぶん話しているじゃない」


「今日は特別」


彼も笑った。


「僕は静かな時間が好きなんだ。一人で本を読んだり、散歩したり、料理したり。


誰かとずっと一緒にいると疲れてしまう」


「寂しくない?」


「寂しい日もあるよ。でも、人とたくさん会えば幸せになるとも思わない」


そして葡萄を一粒食べて言った。


「静かに暮らせることが、僕には大切なんだと思う」


三人は、それぞれのグラスを見た。


一人は、美しいものに囲まれて暮らしたい。


一人は、自分のしたい仕事をして生きたい。


一人は、静かに暮らしたい。


どれも違う。


そして、どれも間違ってはいない。


そのとき、La Stregaの支配人がテーブルに小さなエスプレッソを置いた。


話を聞いていたらしい。


「人は、ときどき他人の大切なものを借りて生きようとします」


三人が支配人を見る。


「お金が大切だと言われれば、お金を追いかける。


人脈が大切だと言われれば、人に会う。



成功が大切だと言われれば、成功しようとする」


「でも?」


「自分には必要のないものまで、大切だと思い込んでしまうことがあります」


暖炉の火が、静かに揺れた。


支配人は続けた。


🎼「人生は、何を持っていたかではなく、何を大切にして生きたか――


なのかもしれませんね」


誰もすぐには答えなかった。


窓の外では、ローマの夜が続いている。


三人とも、まったく違う人生を生きている。


これからも、それぞれ違うものを選んでいくだろう。


美しい瓶に洗剤を入れる人。


好きな仕事を選ぶ人。


静かな部屋で、一人の時間を楽しむ人。


それでいい。


幸せは、同じ形をしている必要などないのだから。


三人目の客が葡萄のソルベを最後の一口まで食べて、ぽつりと言った。


「みんな、自分が大切だと思うものをちゃんと大切にできたらいいね」


支配人は微笑んだ。


「ええ。それができた人生なら、きっと悪くありません」


La Stregaの夜は、もう少しだけ続いた。



つづく


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