top of page

白から始める赤の夜

x Happy
9月25日
読了時間: 5分

ローマ、午後八時。


La Stregaの半円形の個室には、二人の客が向かい合って座っていた。


窓の向こうには、夜のローマ。 雨上がりの石畳に街灯が映り、


壁際の暖炉では薪が静かに燃えている。


白いクロスの上には、磨かれた銀器。


そして二つのムラーノガラスのワイングラス。




一人がワインリストを眺めながら言った。


「君は結局、赤と白、どっちが好きなの?」


向かいの男は、すぐには答えなかった。


「それ、よく聞かれるんだけどね」


「答えられない?」


「いや。料理と一緒なら赤が好きだよ。特に牛肉ならね」


「じゃあ赤じゃないか」


🎼「でも、ワインだけをゆっくり楽しむなら白なんだ」


「へえ」


「ミネラル感のある白が好きなんだよ」


男は少し考えてから続けた。


「例えば、ゲヴュルツトラミネールとか」


ちょうどその言葉を、そばにいた支配人が聞いていた。


支配人が静かに微笑んだ。


「面白いお好みですね」


二人が顔を上げる。


「面白い?」


「ゲヴュルツトラミネールというと、


ライチやバラ、


スパイスのような華やかな香りをまず思い浮かべる方が多いものですから」


男が笑った。


「確かに。ミネラルだけで選ぶ品種ではないですね」


「ええ。でも産地や造り手によって、香りの華やかさの奥に、


締まった酸や石を思わせるニュアンスを感じるものもあります」


「そういうのが好きなんです」


支配人は頷いた。


「なるほど。では今夜は面白いことができます」


「というと?」


「白から始めて、赤へ行きましょう」


男はワインリストを閉じた。


「料理は?」


支配人は微笑んだ。


🎶今夜の主役は牛肉です」


       *






最初の皿が運ばれてきた。



🎼Amuse


牛肉のカルパッチョ


洋梨、フェンネル、レモン


ごく薄く切った牛肉。


その上に、細く切った洋梨とフェンネル。 レモンの皮。 オリーブオイル。 海塩。


肉料理なのに、皿全体は驚くほど軽い。


支配人は白ワインを注いだ。


淡い黄金色。


「最初から赤じゃないんですね」


「牛肉だから赤、とは限りません」


男がカルパッチョを食べる。


そして白を一口。


洋梨の甘い香りとワインの華やかな香りが重なり、そのあとにレモンとフェンネルが残った。


「なるほど」


「料理の重さにワインを合わせるんです」


支配人はそう言って下がった。


       *




二皿目。


🎼Antipasto


牛テールのコンソメ


ポルチーニと小さなラビオリ


透明に近い琥珀色のスープ。


何時間も煮込んだ牛テールから取った澄んだコンソメだった。


中央には、小さなラビオリ。 中にはポルチーニ。


一口飲むと、見た目とは反対に牛肉の深い旨味が広がった。


「これなら赤でもよさそうだ」


一人が言った。


しかし支配人はまだ白を残した。


「もう少し、この白で行きましょう」


「なぜ?」


「次の一口を飲んでみてください」


コンソメ。


そして白ワイン。


「……さっきよりワインが辛口に感じる」


支配人は頷いた。


「ワインは一人で飲んでいるときと、料理と一緒にいるときで表情が変わります」


「人間みたいですね」


「だいたい同じです」


二人が笑った。


       *


三皿目から、グラスが変わった。


支配人が赤ワインを持ってきた。




🎼Primo


牛頬肉のラグーと手打ちパッパルデッレ


幅広の手打ちパスタ。


赤ワインで長時間煮込んだ牛頬肉が、繊維になるほど柔らかくほぐされている。


トマトは控えめ。 肉の旨味と赤ワイン、香味野菜を中心にした濃厚なラグー。


上には、ごく少量のパルミジャーノ。


支配人が赤を注ぐ。


「ここから赤?」


「ここからです」


男が飲んだ。


「タンニンが強すぎない」


「先ほど、牛肉と一緒なら赤がお好きだとおっしゃったでしょう」


「覚えていたんですね」


「それが私の仕事です」


もう一人が笑った。


「危険だな、この店。余計なことを言えない」


支配人も笑った。


「La Stregaでは、秘密とワインの好みだけはよく覚えております」


       *


そしてメイン。


厨房でヴィオラが最後の火入れをしていた。


アンが皿を温める。


今夜の中心だった。




🎼Secondo


牛フィレ肉のロースト


赤ワインと黒トリュフのソース


根セロリのピューレ


小玉ねぎのロースト


厚く切った牛フィレ。


外側には香ばしい焼き色。 ナイフを入れると、中は美しいロゼ色だった。


その横に、滑らかな根セロリのピューレ。


小さな玉ねぎ。


そして牛肉の上から、 ヴィオラが黒トリュフを薄く削った。


香りが立つ。


二人はしばらく話さなかった。


牛肉を一口。


赤ワインを一口。


もう一度、牛肉。


男がようやく言った。


「こういうときは、やっぱり赤だな」


向かいの男が笑う。


「最初の質問に、ようやく答えが出たじゃないか」


「いや」


男はグラスを置いた。


「答えは変わってないよ」


「というと?」


「牛肉と食べるなら赤。ワインだけなら白」


支配人が少し離れたところで、それを聞いていた。


       *



最後の皿。


🎼Dolce


洋梨の白ワイン煮


マスカルポーネ


ヘーゼルナッツ


白葡萄のソルベ


白い皿の中央に、 白ワインでゆっくり煮た洋梨。


その横には淡いマスカルポーネのクリーム。


砕いたヘーゼルナッツ。


小さな白葡萄のソルベ。


食事が終わるころ、 支配人がテーブルへ戻ってきた。


「最後に、何かお飲みになりますか?」


一人が答えた。


「赤をもう一杯」


そして、もう一人は少し考えた。


「私は白に戻ります」






支配人は笑った。


「やはり?」


「ええ。料理は終わりましたから」


しばらくして、 新しいグラスが置かれた。


男は白ワインを一口だけ飲んだ。


今度は料理を口にしない。


ワインだけだった。


香りを確かめ、 ゆっくり飲み込む。


「やっぱり、これが好きだ」


向かいの男が聞いた。


「結局、君は赤が好きなの? 白が好きなの?」


男は笑った。


🎶「その質問が間違ってるんだよ」🎶


「じゃあ、何て聞けばいい?」


男は白ワインのグラスを持ち上げた。


♬「誰と、何を食べながら、どんな夜に飲むワインが好きですか――かな」♪


暖炉の薪が、小さく弾けた。


支配人は何も言わず、 二人のグラスに少しだけワインを足した。


La Stregaでは、 ワインの好みを一つに決める必要はなかった。


人間にいくつもの顔があるように、


一本のワインにも、 料理といるときの顔と、


一人でいるときの顔がある。


そして良い夜というものは、


その両方を知るには、 ちょうどいい長さだった。



著作権ここにあり、転載不可

bottom of page