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心の広さが広がる話

x Happy
9月27日
読了時間: 7分

ローマ、午後八時半。


La Stregaの半円形の個室には、二人の男が座っていた。


壁際の暖炉には小さな火。 白いクロスの上には銀器と、まだ空のムラーノガラス。


一人がワインリストを眺めながら聞いた。









「結局、君は赤と白、どっちが好きなんだ?」


向かいの男は、すぐには答えなかった。


「料理と一緒なら赤が好きだな」


「じゃあ赤派?」


「いや。ワインだけを飲むなら白のほうが好きだ」


「どんな白?」


「特に好きなのが二つある」


男は指を一本立てた。


「アルザスのリースリング」


「理由は?」


「辛口で酸がきれいだろう。それに、石とか岩を思わせるような感じがある。あの輪郭のはっきりした感じが好きなんだ」


そして二本目。


「もう一つがゲヴュルツトラミネール」


「リースリングに似てる?」


♬「全然違う。だから面白い」


男は笑った。


「ゲヴュルツトラミネールは、ライチやバラみたいに香りが華やかだろう。


少しスパイスを思わせることもある」


「ずいぶん違う二本だな」


男は頷いた。


「そうなんだよ」


そして、少し考えて言った。


「ゲヴュルツトラミネールは、香りを楽しむ白。」


グラスを指先で持ち上げる。


「リースリングは、輪郭を楽しむ白。」


少し離れたところにいた支配人が振り返った。


そのまま二人のテーブルへやって来た。


「それは面白い表現ですね」


男が笑った。


「聞いていました?」


「申し訳ありません。ワインの話だけは耳がよくなるもので」


二人が笑った。


支配人は続けた。


「ただし、一つ問題があります」


「何でしょう?」


「ここはローマです」


「それが?」


支配人は真顔で言った。


「フランスワインだけ褒められて終わるわけにはいきません」


一瞬の沈黙。


そして三人とも笑った。


🎶「では、イタリアから対抗馬を出しますか?」


「もちろんです」


支配人はワインリストを閉じた。


「今夜は、香り、輪郭、そして料理との相性。その三つで遊んでみましょう」


       *





最初の皿。


🎼Amuse


帆立の軽い炙り


白桃、フェンネル、バジル


表面だけを軽く炙った帆立。


中はほとんど生のまま。


薄く切った白桃。 フェンネル。 小さなバジル。


最後にレモンとオリーブオイル。


支配人が淡い黄金色のワインを注いだ。


「まずは、お好きなゲヴュルツトラミネールです」


男が香りを取った。


「ああ。これだ」


「何が?」


向かいの男が聞く。


「飲む前から楽しいんだよ」


ライチ。 花。 熟した果実。


そこへ白桃の香りが重なる。


男は帆立を一口食べ、ワインを飲んだ。


「やっぱりこれは――」


少し考えた。


「香りを飲んでる感じがする」


支配人が頷いた。


「では、その言葉を覚えておいてください」


       *





二皿目。


🎼Antipasto


真鯛のカルパッチョ


青リンゴ、セロリ、レモン


海塩とオリーブオイル


薄く切った真鯛。


青リンゴ。 細いセロリ。 レモン。


皿には余計なソースがほとんどない。


支配人が別の白を注いだ。


「アルザスのリースリングです」


男が一口。


「全然違う」


「どう違う?」


「ゲヴュルツトラミネールみたいに香りが前へ出てこない」


もう一口。


「でも、形がはっきりしてる」


支配人が聞いた。


「形?」


男は頷いた。


「酸が一本、すっと通ってる感じ。料理を食べても崩れない」


真鯛を食べる。


リースリング。


青リンゴ。


またリースリング。


男が言った。


「やっぱりそうだ」


「何が?」


「さっきの白は香りを楽しむ。」


グラスを持ち上げた。


「こっちは輪郭を楽しむ。」


支配人は微笑んだ。


「では、ここからイタリアです」


       *





三皿目。


🎼Primo


レモンと浅利の手打ちタリオリーニ


ボッタルガ


イタリアンパセリ


細い手打ちパスタ。


浅利の旨味。 レモンの皮。 オリーブオイル。


上から、ごく少量のボッタルガ。


支配人が新しいグラスに白ワインを注いだ。


🎵「ヴェルディッキオです」


男が飲む。


「これは面白い」


「どうです?」


「リースリングとも違うな」


「ええ」


「酸はある。でも、それだけじゃない」


男はもう一口飲んだ。


「少し塩っぽいというか……海の料理が欲しくなる」


支配人が笑った。


「だから浅利です」


男はタリオリーニを食べた。


そしてヴェルディッキオ。


今度は何も言わない。


もう一口パスタ。


またワイン。


向かいの男が笑った。


「急に静かになったな」


「うまいんだから仕方ない」


支配人が言った。


「これでイタリアにも少し【ご贔屓】をいただけそうですか?」


「かなり危険なところまで来ています」(^^♪


       *





四皿目。


今度は赤だった。


🎼Secondo


仔羊背肉のロースト


ローズマリーと黒オリーブ


焼いたアーティチョーク


赤ワインのソース


仔羊は中心を淡いロゼ色に焼いてある。


黒オリーブ。 ローズマリー。 焼いたアーティチョーク。


支配人が赤を注いだ。


🎶「キアンティ・クラッシコです」


男が一口飲んだ。


そして仔羊。


もう一口ワイン。


「ああ……これは料理と一緒がいい」


「なぜ?」


「ワインだけなら少し酸を強く感じる。おん


でも仔羊を食べると、その酸がちょうどよくなる」


支配人が頷いた。


「ワインだけで完成するものもあれば、料理が来て完成するワインもあります」


「なるほど」


男はグラスを眺めた。


「だから『赤と白、どっちが好き?』という質問は、やっぱり難しいんだな」


「難しいというより」


支配人が言った。


🎶「質問が少し短すぎるのでしょう」(^^♪


       *





最後の料理。


🎼Dolce


焼いた無花果


リコッタのクリーム


ピスタチオ


蜂蜜とローズマリー


温かい無花果。


その横に冷たいリコッタのクリーム。


砕いたピスタチオ。


蜂蜜をほんの少し。


ローズマリーの香り。


食事が終わるころ、支配人が戻ってきた。


「最後に一杯だけ、いかがですか?」


「今度は何を?」






支配人は三本の白をテーブルに置いた。


ゲヴュルツトラミネール。


リースリング。


そしてヴェルディッキオ。


「選んでください」


男は三本を見た。


「これは困るな」


向かいの男が笑った。


♬「最初は二本しか好きじゃなかったのに」


「そうなんだよ」


支配人が聞いた。


「今なら、この三本をどう表現されます?」


男は最初の一本を見た。


「ゲヴュルツトラミネールは――香りを楽しむ白。」


次にリースリング。


「これは、輪郭を楽しむ白。」


そしてヴェルディッキオ。


少し考えた。


「これは……料理を呼ぶ白かな」


支配人の顔がほころんだ。


「それはイタリア人として、なかなか嬉しい答えです」


「どうして?」


♬「イタリアのワインは、食卓に置かれているときが幸せですから」


男は笑った。


「じゃあ今日はヴェルディッキオにしよう」


「フランスを裏切った?」(^^♪


向かいの男がからかう。


「違うよ」


男は答えた。


🎼「好きなものが一つ増えただけだ」


支配人がヴェルディッキオを注いだ。


淡い黄金色のワインが、 ムラーノガラスの底で揺れた。


男は一口飲んだ。


そして言った。


「ワインって面白いな」


支配人が聞く。


「どんなところが?」


男は三本のボトルを見ながら答えた。


「同じ白ワインなのに、一つは香りを楽しませる。


一つは輪郭を楽しませる。


そして一つは料理を食べたくさせる」


支配人は頷いた。


「だから、赤か白かだけでは決められないんです」


暖炉の薪が、小さく弾けた。


La Stregaでは、 好きなワインを一つに決める必要はなかった。


昨日まで二つだった好きなものが、 今夜、三つになることもある。


それは迷ったのではない。


知ったから増えたのだ。


人は何かを知るたび、 選択肢が減るとは限らない。


むしろ、 好きなものが増えていくことがある。


解説

ワインだけでなく、毎日のいろいろな小さなこと、


好きなものを一つに決めなくてもいい、


それぞれの良さがわかって楽しむことがよいこと、


そういう余裕と世界の広さが【心の贅沢さ】ということ。




著作権ここにあり、転載不可


 
 
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