団扇
- x Happy
- 4月15日
- 読了時間: 3分
夕暮れの縁側に、一枚の団扇が置かれていた。
竹の骨は細く、紙はやわらかく、風を待つように静かに眠っている。
表には、夏の花火が描かれていた。
群青の夜空に、金色の火がぱっと開き、散り、また生まれる。
それは誰もが知る「美しい瞬間」——歓声と、記憶と、儚さの象徴。
けれど、裏は違った。

裏には何も描かれていない。
ただ、白い。
少しだけ手垢がついていて、指の形に沿って、わずかにくすんでいる。
誰かがこの団扇を持ち、何度も仰いだ証だ。
汗ばんだ掌、疲れた腕、黙って風を求めた時間。
そこには花火のような華やかさはない。
けれど確かに、人の暮らしが染み込んでいる。
——表は、見せるための美しさ。
——裏は、生きるための痕跡。
ひとりの少女が、その団扇を手に取った。
ゆっくりと仰ぐと、かすかな風が頬を撫でる。
彼女はまず、表を見る。
「きれい……」
そして裏を見る。
「……あたたかい」
その言葉は、少し不思議だった。
白いだけの裏側に、なぜ“あたたかさ”を感じたのか。
団扇は、答えない。
ただ、表も裏も同じように風を生み出す。
人はしばしば、表だけを選びたがる。
鮮やかで、わかりやすく、称賛されるもの。
だが裏を知る者は、少しだけ静かになる。
なぜなら、裏には語られなかった時間があるからだ。
努力、疲労、迷い、そして誰にも見せなかった顔。
表と裏は対立しているようで、切り離せない。
どちらか一方では、風は起きない。
少女は、団扇をくるりと回した。
花火が消え、白が現れ、また花火へと戻る。
その回転の中で、彼女は気づく。
「どちらも、ほんとうなんだ」
夜が深くなり、風が少し涼しくなる。
団扇は再び縁側に置かれた。
表は、月明かりに照らされて淡く光り、
裏は、闇の中で静かに息をひそめている。
けれどどちらも、同じ一枚。
分かれているようで、決して分かれてはいない。
世界もまた、そうなのかもしれない。
光と影、喜びと悲しみ、始まりと終わり。
そのすべてが、ひとつの“風”を生むために、
静かに重なり合っている。
解説
父のおばが生前、愛知県で団扇を手作りし、
生計をたてていました。
そして、
その団扇の端の紙切れを集めたものは、
父の家の
お風呂炊きにつかっていました。
つまり団扇の紙きれ、細い板の端は
燃料になりました。
その燃料をもってきてくれたのは
おばの弟の叔父でした。
そして、
それ(燃料)を父の家に運んでくれるたびに、
叔父は、「自分も燃料が必要だ」
と言って、大好きな日本酒を父の家で
一杯飲んでから
また戻っていったそうです。
そんな御縁のある団扇の
お話をお話にしてみました。


