La Strega第四話 ―― 星降る夜とギターの調べ
- x Happy
- 2 日前
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午後七時。
ローマの夕暮れは、
ゆっくりと夜へ溶けていく。
三つ星レストラン「La Strega」。
今夜は特別な夜だった。
年に数回だけ開催されるジャズ・ディナー。
料理と音楽がひとつになる夜。
店内には世界各国から集まった客が座っていた。
ワインの香り。
キャンドルの灯り。
磨き上げられたグラス。
そしてホール中央には、小さなステージ。
そこにエンツォ・ベルナルディが立っていた。
黒いジャケット。
クラシックなアーチトップギター。
客席から静かな拍手が起こる。
アンは厨房とホールを繋ぐ扉の隙間から、その様子を見ていた。
ヴィオラは腕を組みながら言う。
「見ている暇があるなら働きなさい」
「はいっ!」
そう答えながらも、アンの耳はすでにステージへ向いていた。
最初の曲は静かだった。
エンツォはマイクに近づく。
「皆様、今夜はLa Stregaへようこそ。
まずは偉大なジャズへの敬意を込めて。」
ギターが鳴る。
柔らかく、透明な音。
それはMiles Davisが遺した名曲Blue in Greenだった。
本来はトランペットとピアノが中心の曲。
だがエンツォの指先から流れる旋律は、まるで夜のローマを歩く風のようだった。
客たちは自然と会話を止める。
音楽に耳を傾ける。
前菜が運ばれる。
アーティチョークのテリーヌ。
ズッキーニの花のフリット。
そしてギターは静かに歌い続ける。
続いて演奏されたのは、
Bill Evansの世界を思わせるピアノ・ジャズの名曲群だった。
エンツォはギター一本で繊細な和声を重ねる。
まるでピアノの鍵盤を弾いているかのような音色。
アンは料理を盛り付けながら思う。
(どうしてこんな音が出せるんだろう)
音が優しい。
だが決して弱くない。
静かなのに、心の奥へ届く。
ヴィオラは魚料理のソースを確認しながら呟く。
「悪くないわね」
料理人にとって最高級の賛辞だった。
魚料理が提供される頃。
エンツォは雰囲気を変えた。
「ここはローマです。
少しだけ、イタリアの映画を思い出しましょう」
客席から小さな歓声が上がる。
ギターが奏でたのは、
Nino RotaやEnnio Morriconeを思わせる映画音楽のメドレーだった。
どこか懐かしい旋律。
石畳の街角。
古い噴水。
夕暮れの広場。
そんな景色が自然と浮かぶ。
イタリア人の老夫婦が微笑みながら手を握る。
アメリカから来た観光客はスマートフォンを置き、静かに聴き入っていた。
料理と音楽が溶け合っていく。
それは単なる演奏会ではなかった。
ひとつの物語だった。
肉料理が始まる頃。
エンツォは椅子に腰掛けた。
「少し南へ旅をしましょう」
客席から笑いが起きる。
そして始まったのは
ボサノヴァ。
Antonio Carlos Jobimを思わせる軽やかなリズム。
海風のようなコード。
柔らかなスウィング。
店内の空気が一気に変わる。
重厚だった時間が、ふっと軽くなる。
客たちは自然と肩の力を抜く。
ワインが進む。
笑顔が増える。
アンも思わずリズムを取っていた。
その姿を見たルカが小声で言う。
「完全にエンツォ中心に世界がまわってきたかな、、、アン」
「違います!」
「顔見れば分かる」
アンは真っ赤になった。
デザート前。
照明が少し落とされた。
エンツォは深く息を吸う。
客席を見渡す。
そして静かに言った。
「最後は私自身の曲を」
店内が静まる。
アンの胸が少し高鳴る。
初めて聴く曲だった。
タイトルは。
『Roman Dawn』
ローマの夜明け。
ギターの低音が静かに響く。
まだ暗い街。
市場へ向かう人々。
パン職人。
魚屋。
農家。
そして料理人。
夜明け前のローマの鼓動♬。
その風景が音になっていた。
アンは気付いた。
この曲にはヴィオラもいる。
アドリアーノも。
マルゲリータも。
市場の人々も。
そして。
自分も。
エンツォは市場へ通うアンの話を何度も聞いていた。
ヴィオラが朝四時に起きる話も。
魚を見る目の話も。
食材に命を懸ける話も。
それら全部が音楽になっていた。
曲が終わる。
数秒。
誰も拍手しない。
”あまりにも美しかったから”
そして次の瞬間。
店内が割れんばかりの拍手に包まれた。
スタンディングオベーションだった。
エンツォは照れくさそうに頭を下げる。
厨房から見ていたヴィオラは静かに頷いた。
「音楽家としては合格ね」
ルカが吹き出す。
「上からだなあ」
「私は料理人よ」
ヴィオラは当然のように言った。
「でも今夜は少しだけ認めてあげる」
その言葉を聞いたアンは笑った。
ホールではまだ拍手が続いている。
エンツォがふと厨房の扉を見る。
視線が合う。
ほんの一瞬。
アンの心臓が跳ねた。
ローマの夜。
三つ星レストラン。
極上の料理。
そしてギターの音色。
その夜の客たちは、きっと何年経っても忘れないだろう。
料理だけではない。
音楽だけでもない。
その両方がひとつになった、
魔法のような夜を。

つづく――


