イソッタ
- x Happy
- 5月7日
- 読了時間: 3分
『レモン色のカフェと、小さな王冠』
春の終わりの午後、
イタリアの小さな石畳の町に、
「ルーナ・ジャッラ」という不思議なカフェがありました。
レモン色の扉。
窓辺にはゼラニウム。
エスプレッソの香りと、焼きたてのフォカッチャの匂い。
その店には、夕暮れになると、
☆
どこからともなく不思議の国の少女――
イソッタが現れるのでした。
☆
金色の髪に、少し大きな麦わら帽子。

白いエプロンには、小麦粉。
今日は厨房で、トマトとバジルのリゾットを作っています。
けれどその日、
イソッタは少し元気がありませんでした。
「どうしたの?」
カウンターの上に座っていた白うさぎが聞きました。
イソッタは木べらをゆっくり回しながら言いました。
「私ね……最近、自分が空っぽみたいに感じるの。」
「空っぽ?」
「うん。みんなみたいに特別じゃない気がするの。
料理が上手な人。
歌がうまい人。
何でもできる人。
私は、何者なんだろうって。」
すると、奥でパスタを打っていた帽子屋のシェフが、ふっと笑いました。
「イソッタ。
君は“肯定感”と“効力感”を混同しているね。」
「こうていかん……こうりょくかん?」
厨房の天井から、オリーブがころころ転がってきました。
帽子屋は続けます。
「肯定感っていうのはね、
“できても、できなくても、自分には価値がある”と思える心だよ。」
イソッタは静かに聞いていました。
「そして効力感は、
“やればできるかもしれない”と思える力のこと。」
「違うの?」
「まったく違う。」
外では夕陽が、オレンジ色に町を染めていました。
帽子屋は、焼きあがったフォカッチャをテーブルに置きます。
「例えばこのパン。
今日は少し形が崩れた。」
イソッタは見ました。
たしかに少し不格好です。
「でも、香りは最高だろう?」
バターの香り。
小麦の甘さ。
ローズマリー。
それだけで、心がほぐれるようでした。
「人も同じだよ。
形が整っていなくても、価値は消えない。」
白うさぎがエスプレッソを飲みながら言いました。
「でも効力感がないと、“また挑戦しよう”って思えなくなるんだ。」
「じゃあ、どうやったら効力感は育つの?」
その時でした。
厨房の奥から、
真っ赤なドレスの女王が入ってきました。
「失敗よ。」
「えっ?」
「効力感は、“成功した数”ではなく、
“失敗しても続けた回数”で育つの。」
女王は堂々とティラミスを食べています。
「私は昔、パスタを真っ黒に焦がしたわ。」
「女王なのに?」
「三回も。」
イソッタは思わず吹き出しました。
すると女王は真面目な顔で言いました。
「でもね。
“焦がした私には価値がない”と思わなかった。
そこが大事なの。」
厨房の窓から、夜風が入りました。
遠くでアコーディオンが鳴っています。
広場では人々が笑いながら会話をしていました。
イソッタは、静かにリゾットを混ぜます。
――私は、できない時もある。
――失敗もする。
――でも、それで価値がなくなるわけじゃない。
その瞬間、
胸の奥に小さな灯りがともりました。
帽子屋が言います。
「肯定感は、“存在のスープ”。
効力感は、“行動の火”。」
「どっちも料理みたい。」
「その通り。」
イソッタは完成したリゾットに、最後のチーズを削りました。
香りがふわりと広がります。
そして彼女は、少し照れながら言いました。
「……私、また挑戦してみる。」
白うさぎが拍手しました。
女王は満足そうにうなずきます。
すると、厨房の壁に掛かっていた小さな鏡が、きらりと光りました。
そこには、以前より少しだけ優しい顔をしたイソッタが映っていました。
頭には見えない、小さな王冠。
それは――
“できるから価値がある”ではなく、
“存在しているだけで価値がある”と知った人だけに見える、
不思議の国の王冠だったのです。
つづく



