NEXT stage
- x Happy
- 3月24日
- 読了時間: 5分
更新日:4月13日
目黒川沿いの桜は、2026年、まるで世界のすべての色を集めたかのように
咲き誇っている。
去年よりも。絵画のよう。
川の両岸を埋め尽くす桜並木は、どこまでも途切れることなく続き、
空そのものが淡い桃色に染め上げられているよう、、
枝は重たげにしなり、花は隙間なく重なり合い、光を受けてきらきらと揺れている。
昼下がりの陽射しが花弁一枚一枚に透け、まるで無数の薄い絹を重ねたような柔らかな輝き、透明感を放っている。
川面には、その桜がそっくりそのまま映り込んでいる。
上を見ても桜、下を見ても桜。
現実と水面の境界が曖昧になり、まるで桜の中に浮かんでいるような錯覚さえ、、、。
風が吹くたびに、花びらが一斉に舞い上がり、
それはただの花吹雪ではない。
光を含んだ無数の欠片が、空中でほどけていくような、豪華絢爛な瞬間だった。
ひとひらひとひらがきらめきながら回転し、ゆっくりと落ちて、肩に、髪に、テーブルの上に、そしてコーヒーカップの縁にさえ、静かに優しく、
彼女は、花びらを
ふっと、息ではねのける、、、、
春の風とともに
やがてそれらは川へと流れ込み、花筏となって水面を覆う。
淡い桃色の帯がゆるやかに流れ、まるで時間そのものが色づいているようだった。
遠くからは、人々の楽しげな声が重なり合って聞こえている。
笑い声、シャッター音、春を祝うざわめき、それらすべてが、この景色の一部として溶け込んでいる。
けれど、そのあまりの華やかさが、彼女には少しだけ苦しかった。
こんなにも満ちあふれているのに、
こんなにも美しく、完成されているのに、
なぜか終わりを感じさせるのでした。
桜は、咲いた瞬間から散る準備をしている、
その事実が、この光景をいっそう鮮やかに、そして残酷にしていた。
「ここはスタ-☆バーックス リザーブ」
テラス席から見下ろすその景色は、
まるで美術館の景色のように美しい。
それ以上かも、、
風も、音も、温度も、すべてがこの一瞬のために存在しているかのように、完璧で、
彼女はその中にいながら、自分だけが少しずつほどけていくような感覚を覚る。
舞い散る花びらが、心の奥に触れて
切ない感情、
掬い上げればこぼれてしまうような、儚いものばかりが、この景色には満ちているように思えた。
そしてそれは、これから離れていく二人の時間と、どこか重なって見えた。
テラス席で、彼女はカップを両手で包み込むように持っていた。まだ少し冷たい春の風が、指先に触れる。
「やっぱり、ここ来てよかったね」
向かいに座る彼は、いつものように少し照れた笑顔を見せる。綺麗な歯並びが、笑顔から少し見える。
今月で23歳になる彼。その節目と同時に、彼は日本を離れる。
ニューヨークへ行くのだ。彼にとってのネクストステージ、
レストラン
彼は自分で進路を選び、履歴書を送り、
料理人になるために進むのだ。
「うん……桜、ちょうど満開だし」
彼女はそう答えながら、視線を川のほうへ逃がした。満開の桜が、あまりにも綺麗すぎて、少しだけ残酷に思えた。
どうして、こんな日に。
こんなに美しい景色の中で、別れに似た時間を過ごさなければならないんだろう。
「向こう行ったらさ、ちゃんと店で働けるかもまだ分かんないけど」
彼が言う。
「でも、絶対無駄にしないから」
その言葉は真っ直ぐで、嘘なんて一つも混ざっていない。
だからこそ、彼女の胸は締めつけられる。
「うん、知ってる」
知っている。彼がどれだけ努力してきたかも、どれだけ料理が好きかも。
だから、止められない。
止めてはいけない。
「遠距離、か」
彼がぽつりとつぶやく。
その言葉が、現実として二人の間に落ちた。
彼女は一瞬だけ、言葉を失う。
遠距離。
簡単な言葉なのに、そこに含まれているものはあまりにも重い。会えない時間、不安、時差、すれ違い、そして——いつか終わるかもしれない未来。
「……大丈夫だよ」
自分でも驚くほど、穏やかな声が出た。
彼女は笑った。
ちゃんと笑えているかどうかは、分からなかったけれど。
「LINEもあるし、ビデオ通話もあるし」
「うん」
「ね、大丈夫」
その瞬間、風が強く吹いた。
桜の花びらが一斉に舞い上がり、二人の間をすり抜けていく。まるで何かを引き裂くように。
彼女はその光景を見つめながら、胸の奥にしまい込んでいた感情が、静かにほどけていくのを感じた。
怖い。
本当は、すごく怖い。
彼が遠くに行ってしまうことも、距離に負けてしまうかもしれない未来も、全部。
「……ねえ」
彼女は小さく呼んだ。
「ん?」
「ちゃんと帰ってきてね」
それはお願いだったのか、約束を求めていたのか、自分でも分からなかった。
彼は一瞬だけ驚いたように目を見開いて、それからゆっくりとうなずいた。
「帰ってくるよ」
その言葉は、優しくて、あたたかくて、でもどこか儚かった。
桜の花びらが、彼女の肩にそっと落ちる。
彼女はそれを指先でつまみ、しばらく見つめたあと、そっと風に返した。
ひらひらと舞い上がり、やがて見えなくなる。
まるで、自分の気持ちみたいだと思った。
掴んでいたいのに、触れた瞬間にこぼれてしまう。
それでも——
「待ってるから」
彼女は、今度ははっきりとそう言った。
彼は何も言わず、ただ優しく笑った。
目黒川の桜は、変わらず満開のまま、二人を包み込んでいた。
世界はこんなにも美しいのに、その美しさが、時にこんなにも切ない。


