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今を楽しむ(天国亭)

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  • 4月13日
  • 読了時間: 4分

更新日:4月16日

居酒屋チェーン店「天国亭」。

駅前の雑居ビルの地下1階、赤い提灯と色あせた暖簾。


扉を開けた瞬間、ふわっと広がるのは——


壁に染みついたタバコの匂いだった。


今は分煙になっているはずなのに、


長年の煙は木の壁や天井に染み込み、


どこか懐かしく、どこか雑多な“時間の層”を感じさせる。


今月のお知らせ。

「飲み放題・食べ放題 2時間3980円」


少し擦れたポスターが、店の良心のように貼られている。


手前のテーブル —— 20代、6人組


「ここ安すぎじゃない?」


「神だろこれ!」


テーブルに並ぶ枝豆、唐揚げ、ポテト、ラーメンサラダ。


まだ頼んだばかりなのに、次の皿がもう来る。


「早っ!」


「提供スピードえぐい(笑)」


ホールのアルバイト店員が、注意深く、


しかし、ほとんど走るように料理を運んでくる。




「お待たせしましたー!唐揚げです!ポテトです!レモンサワー追加でーす!」


笑顔は忙しさの為、少し引きつっているが、手は止まらない。


まるで「満足させること」が使命のように、次々と皿が置かれる。


「すげえ、無限に来るじゃん」


「これもう戦いだろ」


そんな空気の中で——


「はい、いくぞーー!!」

「きたーーー!!」

「せーの!」

「飲んで!飲んで!飲んで!飲んで!」


手をあわせて たたく音


「はいコール!コール!」

「ケンタ!ケンタ!ケンタ!」

「やめろって!!」

それでも飲む。笑いながら飲む。

「ナイスーーー!!」 「優勝ーーー!!」


油の匂い、レモンの酸味、そして壁に残るタバコの香りが混ざり、


若さの熱気で、空気は少しだけ濃くなる。


「この絶品卵焼き、めちゃおいしい。大きくてきれいな黄色」


若者たちの胃袋に入っていく。


一方


奥の座敷 —— 50代・60代、6人組


「この匂い……変わらんなあ」


一人が壁を見上げる。


「昔はもっとすごかったぞ。店中煙だらけだった」


「灰皿もでかかったしな」


笑いながら、お湯割りを口に運ぶ。


「でもさ、この感じ……嫌いじゃない」


女性が言う。


「なんか、落ち着くよね」


少しの沈黙のあと——


「そういえばさ」


一人が切り出した。


「大学の頃、こういう店よく来てたな」


「ああ、来てた来てた」


一気に空気が“あの頃”に戻る。


「金なかったからさ、安い店ばっかり探して」


「飲み放題って言葉だけでテンション上がってた」


「今の学生と変わらんな」


くすっと笑う。


「でもさ、あの頃は——」


少し遠くを見るようにして、


「時間が無限にある気がしてた」


「わかる」


「将来とか、ちゃんと考えてなかったよな」


「いや、考えてたけど……現実味なかった」


誰かが頷く。


「で、気づいたら今だ」


「早いもんだな」


「たべよ、たべよ。焼き鳥盛り合わせ、アボガドサラダ、

うずらのどんぐり、たこわさ、5種の生つくね。

絶品卵焼き、、、どれもおいしい」




再び、手前 若者たち。


「はい次ーー!!」

「まだやるの!?(笑)」

「“食べ放題元取れるかコール”!!」

「意味わからん最高!!」

「せーの!」

「元取れる!?取れない!?どっち!?」 「とーる!!とーる!!とーる!!」

「無理だろこれ量!!」

「いやいける!!いける!!」


皆で手をたたく音


その横で、店員がまた料理を置く。


「焼き鳥盛り合わせでーす!」


「早すぎだろ!!」


笑いが止まらない。



奥の座敷 人生の極みの男性女性たち


その様子を見ながら、一人がぽつりと。

「元、取ろうとしてたなあ……昔」


「してたしてた」


「食いすぎて後悔するまでがセット」


「それも含めて思い出だな」


グラスの氷が、また静かに鳴る。


「大学の頃さ——」


別の男が続ける。


「好きな子いたよな、お前」


「やめろその話は」


「飲み会で毎回隣座ろうとしてたじゃん」


「バカ言うな」


「で、結局どうなったんだっけ?」


少し間があって、


「……何もなかったよ」


静かな笑い。


「でも、あの時間は良かった」


誰も否定しない。


同じ店、同じ匂い


手前では、まだ掛け声。


奥では、静かな回想。



アルバイト店員は、変わらず忙しく動き続ける。

料理も酒も、止まることはない。

壁に染みついたタバコの匂いは、


若さの騒がしさも、過去の記憶も、すべて吸い込んでいるようだった。


夜の終わりに


「もう一軒いくぞーー!!」


20代が立ち上がる。




「まだ行くのか……元気だな」




50代が苦笑する。

「帰るか」

「だな」

すれ違う瞬間、また一瞬だけ視線が交わる。

若さは、今を使い切るように。

歳月は、今を噛みしめるように。

同じ居酒屋、同じ匂い、同じ“飲み放題”。

けれど——

流れている時間だけが、少し違っていた。


今を楽しんでいた。

 
 
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