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十四代から始まる夜

  • x Happy
  • 6月1日
  • 読了時間: 3分

更新日:6月2日



山形の静かな夜だった。


街の喧騒から少し離れた場所にある割烹料理店。


木の香りがする落ち着いた店内には、


柔らかな灯りがともり、カウンターの向こうでは料理人が


丁寧に包丁を動かしている。


この店の人気は【季節のコース料理】だった。


そしてもうひとつ。


コースを頼むと、日本酒を好きな銘柄で


おちょこ一杯ずつ自由に楽しめるのである。


会社員となった悠真は、その日少し緊張していた。


全国大会を目指していた陸上選手時代から何年も経っていた。


今では普通の会社員。


しかし、今日は違う。


会社の同僚である美咲を食事に誘ったのだ。


「こんな素敵なお店、よく知ってましたね。」


美咲が微笑む。


悠真は少し照れながら言った。


「たまたま見つけただけだよ。」


もちろん嘘だった。


三週間前から店を調べて予約していた。


最初の前菜が運ばれてくる。


春の山菜のお浸し。


桜鯛の昆布締め。


そして日本酒のメニュー。


「最初は何にしますか?」


女将が尋ねる。


悠真は迷わなかった。


「十四代をお願いします。」


美咲が少し驚く。


「有名なお酒ですよね。」


運ばれてきた小さなおちょこ。


透明な酒が灯りを受けて輝いている。


悠真はその香りをそっと楽しんだ。


果実のような華やかな香り。


そして口に含むと優しい甘み。


思わず笑みがこぼれる。


「美味しい……。」


美咲も目を丸くした。


「本当にすごいですね。」


その瞬間、悠真は昔のことを思い出した。


全国大会を目指して毎日走っていた頃。


記録が伸びず苦しんだ日々。


山形の酒蔵で聞いた話。


十四代を造る人たちも、誰もやったことのない酒を目指して


挑戦を続けていたこと。


失敗しても諦めなかったこと。


あの話が、自分を支えてくれた。


美咲が尋ねた。


「何か思い出したんですか?」


「うん。昔、陸上をやってた頃のこと。」


「全国大会を目指していたって聞きました。」


「結局行けなかったけどね。」


悠真は笑った。


不思議と悔しさはなかった。


あの頃の努力は無駄ではなかったから。


すると美咲が言った。


「私はすごいと思います。」


「え?」


「目標に向かって全力で頑張れる人って、そんなに多くないですから。」


その言葉が胸に沁みた。


十四代の柔らかな余韻よりも深く。


やがて料理は進む。


お造りには新政。(あらまさ、秋田県)


焼き魚には而今。(じこん、三重県)


煮物には飛露喜。(ひろき、福島県)


少しずつ違う酒を味わいながら、二人の会話も自然と弾んでいく。


仕事のこと。


休日のこと。


子供の頃の話。


気づけば二時間近くが過ぎていた。


最後のデザートが運ばれてきた頃、美咲が窓の外を見た。


春の夜風が揺れている。


「今日は誘ってくれてありがとうございます。」


その笑顔を見た瞬間、悠真は思った。


全国大会には届かなかった。


人生は思い描いた通りには進まなかった。


でも。


走り続けたからこそ出会えた景色がある。


十四代が何十年もの挑戦の先に生まれたように。


人生にも、遠回りしたからこそ巡り会える味があるのかもしれない。


店を出ると、札幌の夜空には静かに月が浮かんでいた。


「また来ませんか。」


悠真が言う。


美咲は少しだけ頬を赤くして微笑んだ。


「はい。今度は私がお酒を選びます。」


その返事を聞いた悠真の心には、

昔スタートラインに立った時とは違う、

新しい希望が静かに芽生えていたのである。 


お酒は20歳から。


つづく


解説 

これは14の風のつづきとなってます。

 
 
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