卒業式前の最後の授業
- 歯科25City
- 4月5日
- 読了時間: 4分
教室の窓の向こうには、まだ雪の名残があった。
春になりきれない風が、カーテンを少しだけ揺らしている。
黒板には、大きく書かれていた。
——卒業、おめでとう。
けれど、その言葉とは裏腹に、教室の空気は静かだった。
誰もが何かをこらえているようで、でも、それを外に出す理由も見つけられずにいた。
「ねえ、未来ってさ、本当にあると思う?」
後ろの席から、ふと声がした。
振り返ると、アリスが窓の外を見ながら言っていた。
彼女は、このクラスの中でいちばん“不思議”な子だった。
けれど同時に、いちばん真っ直ぐに未来を見ている子でもあった。
「あるに決まってるよ」
前の席の少年が、少し強がるように笑った。
「だって俺たち、これからなんだから」
その言葉に、何人かが小さくうなずく。
けれど、そのうなずきは、どこか頼りなかった。
まるで、“そう信じたい”だけのように。
——そのときだった。
教室の扉が、静かに開いた。
入ってきたのは、白いチョークの粉をまとったような、少し古い時間の匂いをした先生だった。
「最後の授業をしようか」
誰も立ち上がらない。
誰も「お願いします」とも言わない。
ただ、静かにその言葉を受け取った。
先生は黒板に、ひとつの言葉を書いた。
——対比
「未来に希望を持つ者と、持てない者。その違いは何だと思う?」
誰も答えない。
するとアリスが、ゆっくりと手を挙げた。
「未来を“知っているかどうか”じゃなくて、
未来を“信じているかどうか”だと思います」
教室の空気が、少しだけ動いた。
先生は静かにうなずく。
「では、もうひとつ」
チョークの音が、やけに大きく響いた。
——涙
「なぜ、人は泣くのか」
今度は、誰も顔を上げなかった。
誰かが、鼻をすする音を立てた気がした。
でも、それが誰なのかは分からない。
「悲しいから?」
誰かが小さく言う。
「嬉しいからもあるよ」
別の誰かが答える。
先生は、少しだけ微笑んだ。
「では、泣かなかった者はどうだろう」
その言葉に、空気が止まる。
アリスは、窓から目を離さなかった。
「泣かなかった人は……」
彼女は少しだけ考えて、そして言った。
「まだ、“終わってない”人です」
その一言が、教室の奥まで届いた。
「涙は、区切りだから。
でも泣かなかった人は、まだ続いている途中なんです」
風が、またカーテンを揺らした。
誰かの手が、机の上でぎゅっと握られている。
「じゃあ……希望がある人は?」
さっきの少年が、今度は静かに聞いた。
アリスは、ようやく振り返った。
その目は、不思議なくらい澄んでいた。
「希望がある人は、泣ける人です」
教室が、わずかにざわめく。
「未来を信じているから、今の終わりをちゃんと悲しめる。
だから、次に進めるんです」
先生は、チョークを置いた。
「いい答えだ」
そして、ゆっくりと教室を見渡した。
「泣かなかった者は弱いわけではない。
ただ、まだ未来に触れていないだけだ」
その言葉に、何人かが顔を上げる。
「そして、希望を持つ者は強いわけでもない。
ただ、終わりを受け入れた者だ」
沈黙が、優しく教室を包んだ。
——そのときだった。
誰かが、ぽろりと涙をこぼした。
それをきっかけに、ひとり、またひとりと、静かに泣き始める。
声は出さない。
けれど、確かに“終わり”が流れていく。
その中で——
アリスは、泣かなかった。
ただ、窓の外の光を見ていた。
雪の向こうに、春が来るのを知っているように。
「ねえ」
彼女は小さくつぶやく。
「まだ、始まってもいないよ」
その言葉は、誰にも聞こえなかったかもしれない。
でも、確かにそこにあった。
泣いた者たちは、終わりを越えていく。
泣かなかった彼女は、まだ終わりの外にいる。
——同じ教室にいながら、違う未来の中にいるように。
やがてチャイムが鳴る。
誰も立ち上がらないまま、時間だけが先に進んでいく。
先生は静かに言った。
「卒業だ」
その一言で、すべてがほどけた。
涙は止まり、呼吸が戻り、
そしてそれぞれが、自分の未来へと歩き出す準備をする。
アリスは最後に立ち上がった。
ドアの前で、少しだけ振り返る。
空っぽになりかけた教室。
まだ温もりの残る机。
そして、さっきまで確かにあった“今”。
それでも彼女は、やっぱり泣かなかった。
「だって——」
小さく笑う。
「未来は、これからなんだから」
そして扉の向こうへ消えていった。
——泣いた者たちは、終わりを知った。
——泣かなかった彼女は、始まりの中にいた。
同じ春の日の、
まったく違う“希望”として。
解説。三月卒業の時期は
斎藤由紀さんの
卒業という歌を思い出します。、


